●モンスターペアレント
最近は新たな学校関係の問題、教師の悩みとしてモンスターペアレントとかいうのが
騒がれてるようだが、私はあれには肯定的でも否定的でもない
私はだいぶあれに疑念を持っている
正確には実態が「よくわからない」ので判断を避けていると言ったところか。
それは勉強不足からくるものではなく、そういった問題(私はそれが問題であるのかを怪しんでいるのだが)
を声高らかに主張する論者や教師の言葉や著書を大体読んでみても
なお残る疑念なのである。
その理由は様々であるが、まず一つ個人的な実感、経験として
TVや本で騒がれてるようなとんでもない親を、私は実際には一度たりとも見たことがない。
まぁこれは単に私が個人的に経験不足だと説明する事も可能なわけだが
いやいや、まさか私だけがこのようであるなどという奇怪な事はあるまい
大体、私が偶然モンスターペアレントに出くわさないのが個人的な偶然故に問題でないならば
彼らが偶然そういった親に出くわすのも所詮は一部での個人的な偶然ではないか。
同じ一部の経験であるのに、何故私の方が軽んぜられるのかという話である。
そもそも私に限れば、かの反体育闘争や、いじめなどに関しても
私の親はなんら積極的に行動を起こそうとはしなかったし
何かと言うと人権侵害だの傷ついただのと言って学校にケチをつける・・というような
最近よく言われている親の肖像とは全く程遠い。
私はそれに値する仕打ちや発言を散々教師から受けたが
私の親を含め誰一人として、いや私以外にはそれに異を唱える人間はいなかった
それは生徒などでも同じであり
例えば生徒が権利ばかり主張して教師も発言に気をつけねばすぐに生徒に脅されるなどと
右翼系の教育論者はバカみたいに繰り返し語っているが
私の実感としては、あれらは結局のところ被害妄想、いや少なくとも被害の誇大化であり
無駄に問題を増やし無駄に火に油をそそぎネタを作り退屈しのぎするような行為ではないか
そのような事実は皆無とは言わないが大して多くもないのである。
大体子供や親がそれほどに人権に敏感であれば
学校はもっと善意に満ちているはずであり、深刻な虐めなど発生しないはずである
何故なら人権とかいうものは教師の暴言やセクハラ以上に虐めという暴力行為を許さないはずだからである
だが大半の虐めが容認され、また進んで行われているという事は
大半の子供にはそれを止める考えや良心が欠落しており
「人権にうるさい」とは逆の人種が繁殖してる事を示しているのではないか?
ある問題・不正が子供に与えられ、親がそれに怒る。
全くそれは自然な事である。問題はその内容、つまり不正が本当に不正であったかだが
それについての検討はちゃんと後でする。
だが今はあえてそれを置いておくとして、とりあえず子供が傷つけられ
それに異を唱え立ち上がるのは正当であるし、いやむしろ立派であるとすら言える。
私は私を全く守ろうとしなかった親や周りの人間に良い印象は持っていない。
また何かが悪いと分かりながらも感じながらも、勇気がなく行動が起こせない、抗議できない
そんな人は途轍もなく多いと私は考えているし、かつては私自身そうであったのだ。
にも関わらず右翼系の教育論者はそういった私の状況把握とは逆の事ばかり言う。
つまり不正に立ち上がる人が増えまくっていて困ってるという。
抗議してくる親が増えすぎて大変だという。それが所謂モンスターペアレントであるが
私はそれが存在しないとは考えないが、はっきり言ってごく少数なのではないかと考えている
そのごく少数の(良くも悪くも)行動的な親を大げさにとりあげて
わざわざ教育問題・課題を増やして(重要な問題が増えたかのように主張し)
状況を混乱させると共に盛り上げ、そして話題とネタを増やすのである。
だが私は虐めや体罰というネタにはそれなりに食いつくが
このモンスターうんたらには懐疑的である。
繰り返すが私にはこれが何人も存在しており全国的に親が抗議しまくっているとは全然思えないし
それは私の親だけなどでは決してなく周りの知人やその親を見た上での話しである。
そもそもこのように行動的で正義感ある親は特異であり、珍しいはずなのである
というより、珍しいからこそ目立つのであり
目立つからこそ取り上げられてるのであり
だとすれば、やはりそれは少数の例外であると判断するのが道理であり
それを必要以上に問題扱いしてる奴らはちょっとした暇人なのではないかと思うのだが、どうだろうか。
そのようであったら放っておいても
日本全国の虐めは解決に持っていかれるだろうし、そもそも虐めをすること自体が
多大な厄介事をもたらすと認識されるはずである。
だが私は実際はそうでないのを知っている。この風潮にあっても未だにそれは堂々と行われ
また迫害を受ける子供もそれを告発せず、また親も虐めの事実を知らないか
知っていても勇気がないか、もしくは親自体が虐めに肯定的(!)かなどで
全く解決されない。そういった場合の方が断然支配的であり
だからこそ虐めは問題とされているのであり、また私もあのような結末を迎えねばならなかったと
そういった諸々の事実を私は知っている。
さて次に内容であるが
つまりそれはモンスターペアレントとかいうものの主張の内容であり
彼らはなんらかの事柄について異議申し立てし学校や教師に執拗に抗議する者を指しているのだろうが
当然の事ながらその内容が問題とされねばならない。
とうより、例えばその抗議と要求が本当に理不尽で頓珍漢で身勝手なものなら
それは問題扱いされ軽蔑されても然るべきだろうが
本来、抗議とはまさしく「不正」に向かって行われるのであって
そして学校には多くの不正があるのである。
そして学校の明らかな不正を正当に指摘し抗議してるにも関わらず
それを「モンスター」などと称して怪物扱いし教育問題とするのは
一種の印象操作と言わねばなるまい。
ただし念を押すが私が擁護しているのは、あくまでその要求と抗議内容が正当な場合である
これは当然の事であるのに
どうも意図的にか混同してる者が多いように思う
つまり彼ら(右翼系教育論者)は「理不尽な抗議を行う親」を批判する事で
全ての抗議する親や、さらには個性や自由や人権を主張する人々全てを批判してる気になっているのである。
そして不味い事に個性や自由を尊重する側も自分らが責められてるような気になって
モンスターうんたらを安易に擁護してしまったりする
だがこれは単純すぎるというものだろう
抗議の内容は様々であり、モンスターうんたらとして扱われてる親には
まともなのも異常なのも混ざっていると考えるのが、不当に混ぜられてると考えるのが正しいと私は考える
大体、奴らの事である。右翼は基本的に体制側の者であり、それに肯定的な者である
教育における右翼は基本的に学校側の味方であり
生徒を縛り付ける教師を想像すれば分かりやすい。
そして彼らは多くの場合、過度に校則が厳しい管理教育や体罰を肯定する主張を繰り返す。
そういった勢力の逆に位置する人々(私もそれに含まれるが)
単純に言えば、それは例えば子供の権利を強く主張し、自由や個性を尊重した教育を求め
体罰や管理教育はよからぬものであるとする勢力だが
こういった考えにある子供だとかが
硬い考えの教師や大人に抗議・反抗した場合の奴らの反応を考えてみよ
例えば「靴下は白色以外認めない」などという無駄な校則をつくり
それを厳守させる学校に対して抗議した場合の、奴らのこちらを馬鹿にしたような態度
「黙って聞いてればいい」「校則は絶対だ」と言って聞かない、議論しようとすらしない態度を思い出してみよ
歴史的に見て正当な自由を求める子供の主張は長いこと抑圧され無視され続けてきた
現代になってやっとかなりマシになってきたのである。
やっと体罰を良くないとする風潮の方が支配的になり
やっと教師の暴言はとんでもない事であると、基本的には言われるようになり
やっとそれなりの自由が認められ、過度に校則で縛るのは良くないだろうということになってきたのである
それは教育史における歴史的発展である。にも関わらず未だに昔ながらの考えにしがみつく人間がいる
それが右翼系の教育論者であり、モンスターペアレントの概念を流行らそうとしている奴らだが
こういった理解の仕方をした時に
本当に奴らの言うモンスターペアレントとかいうレッテルを信用できるだろうか
つまりこれまでの教育史において
あれほどに正当な要求、正当な自由を抑圧し否定してきたような人種
彼らにとってはそういった正当な要求をし、抗議する者は全てモンスターなのである
もし正義や自由を勝ち取ろうと子供が団結し熱っぽく活動し学校に盾突いたなら
奴らにとってそれはどうせモンスターチルドレンだかモンスタースチューデントなのだろう。
そういう事だ。私の考えではあれらの言葉にはこの程度の意味しかない。
校則や学校の方針、抑圧される自由に異を唱え立ち上がる若者と
単なる不良やチンピラ、暴走族は違う。
こういった事を意図的になのか、区別する頭を持たないのかは知らないが
混同してまとめて非難しているのが右翼系の教育論者である。
過度の自由を主張するアウトローの存在を理由に全ての自由主義者が攻撃されるのは全く不当である。